【雑記】すべてが夏休みの宿題。成長することを先送りにしてきたツケ。
どうもシラオサです。久しぶりにJTY事務所の更新です。本当は周年記事だけを続けるつもりだったんですけど雑記を書きたいなという衝動に駆られたので更新します。
この文章を書いている現時点でこの記事の結末がどうなるのかわかっていないのですがつらつら書きたいと思います。
私は成長することを先送りにしてきたんだろうなと常々感じるのです。
すべてのことが夏休みの宿題で、期限ギリギリや期限を過ぎてからでないと手を出せなくなってしまった。方方の人には迷惑をおかけしています。
眼の前に着手すべき課題がたくさんある。それに手を付けることができない。
怒られるかもしれない。失望されるかもしれない。そう思わないと着手できないし、最近にいたっては失望されてもいいやとさえ思うようになってしまった。
そうこうしているうちに成長することがなくずるずる生きてきてしまった。
文章を打っていて、成長とは何だ?と自分で思ってしまったので、ここで成長の定義を強みを育てることとしよう。刀の鍛冶に近いイメージが自分にはある。
成長という言葉と関連して想起されるのが頑張ったことだ。就活をしているわけではないが学生時代に力を入れたことは何かを考えることがある。そうすると私の場合、「何も出てこない」のだ。すべてのものが先送りにして夏休みの宿題のように片付けてしまったことばかりで、丁寧に丁寧に積み重ねてきたものや異常なまでの熱意を注いだものが何もない。
何もしてこなかったわけじゃないけど振り返ってみると私のしてきたことは何も無いと同義だった。
部活の後輩の最後の大会に応援に行った際、不甲斐ない自分の成績を責める後輩に言葉を投げたことがある。彼は自分が部活でやってきたことは全部無意味だったと言っていた。そんなことはないと自分で気づいていたから彼は泣きながらそういっていたんだと思う。私はそのときに「無駄なことなんてない、すべてのことが影響して未来がある。良い成績を残した〇〇だってお前がいたからあの成績を残せたと思うし、今回は実力をいかんなく発揮できなくて悔しいかもしれないけど、それを悔しがれるお前は未来につなげることができるよ」といった。先輩らしくかっこつけようという気持ちと自分のことで悔し涙を流せる後輩が羨ましい気持ちとが混ざっていたと思う。
私には悔しがれることが何もない。恥ずかしいと思えるものばかりが積み重なっている。
自分がやってきたのはその程度のことだった。
0から1にするのが得意とほざき、インターネットの海に小石をばらまいただけではないか。まさに石を売っている無能の人のそれだ。
0を1にするだけで偉そうにして、評価をされなかったらそれを見る目がない大衆のせいにして……
世界で強いのは1を80へと、100へと、刀身を打ち、成長させることができる人ばかりではないか。
そうしてそんなこと、わかりきっていた。わかりきっていたのになぜかできない。そして楽な「周りへの批判」をする。
この記事も結局は言い訳だ。
私がしなきゃいけないのは、恥ずかしくない作品を作ることだ。
人生の夏休みの終わりがどこにあるのかわからないけれど、そう遠くないと思う。すぐそこにあるかもしれない。
不安に駆られる。なぜなら強みがないから。でもやらなきゃいけない。