妄想彼女偏屈列伝「あの折はどうも」


私が彼女を変わっているなと思い始めたのは同棲生活がはじまって5か月を過ぎようとした頃だった。
私がいってきますというと彼女は激しく求めた。彼女は孤独が嫌いだった。孤独を耐えるのに私の髪の毛が必要だった。普通ならチューするところを彼女は髪を求めた。しかし私がいいよと言うとその激しさからは想像もつかないほど遠慮深く髪の毛の2、3本を抜くのだ。
私には彼女が髪の毛を何に使うのか知るすべもなかったし、彼女も教えてくれなかった。また知ろうともしなかった。彼女はその他において完璧だったのである。私が言ってほしい言葉を知っている女だったのである。上司に傷ついた夜も新入社員にイラつきを覚えた夜も彼女の言葉で救われたのである。髪の毛を欲すことは気にもならない些細なことであった。むしろ彼女の変わった個性だと思っていた。
私は毎朝いってきますを言った。髪の毛を抜いては彼女はいってらっしゃいと言った。こんな日々がずっと続くと思った。
しかし、今朝は違かった。
「ねえ、上司さんの髪の毛をとってきて」
こう言われたのだ。私も思わず聞き返したが同じことを言われた。悩んだ。もう一回聞き返そうか悩んだ。だが聞けなかった。聞いてしまったらただの個性に終わらないような気がして。
私は今上司の席の前にいる。上司は会議でいない。髪の毛を得るチャンスであった。約束をしてしまったからには彼女の可愛い個性のためにも上司の可愛い髪の毛を持って帰らなければならない。私は上司がハゲだったら面白いのになと思いながら髪の毛を探した。上司はハゲではなかった。なんならフサフサであった。さらに言うなら年下であった。そんなことを考えて頸動脈をぴくぴくさせているとオフィスチェアの背もたれに髪の毛があるのを発見した。すぐさまフィルムケースにしまいそのケースをスーツの内ポケットに入れた。世間ではフィルムケースが絶滅危惧種らしいがバードウオッチングが趣味のカメラ小僧の私には無縁の話であった。
髪の毛を入手してからなぜかドキドキが止まらなかった。もしかしたら私も彼女と同じ変わった個性を得てしまったのかもしれない。
そうだ早退してサプライズしよう。そう思いついた。早速、仮病を使って私は家に帰った。鳥インフルエンザかもしれないと新入社員に伝えた。
こんなに胸を騒がして帰り路についたことはない。今日は個性記念日だ。そう思いながらマンションの階段をあがった。エレベーターは点検中だった。もう邪魔するなよ。俺は早く彼女にこの髪の毛を届けたいんだよ。

静かに私はこれ以上ないほど静かにドアを開けた。自分の胸だけがうるさかった。彼女はリビングにいなかった。ははーん。さては彼女の部屋だな。私はせやかてせやかてと名推理をした。ちなみにリビングのほかに部屋は彼女のしかない。私はリビングで寝ている。

さぷらーいず!!!

そう言いながら彼女の部屋を開けた。しかしサプライズをくれたのは彼女のほうだった。

思わず私はこう言った。

「お前はあのとき助けた鶴!!」

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